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イベント告知/連載
10.62018
コトノ出版舎の連載企画【わたしの移住体験記「住めば住みぬる」】その3

最初の移住《福岡市・七隈編①》
昭和44年8月に私が生まれたのは大阪府寝屋川市の萱島ですが、1歳8ヶ月のときに福岡市の七隈という場所に引っ越しをしました。まだ乳幼児のときですので当然記憶にはありませんが、私にとっての最初の移住と呼べる長距離の移動がこのときになります。
私が生まれたこの年はNASAがアポロ計画で月面着陸に成功し、翌年の昭和45年の日本万国博覧会の開催準備に沸き立っている最中で、日本社会が高度成長期の真っ只中だったのではないでしょうか。私の両親は同じ職場での結婚でしたので、二人ともこの頃は会社で仕事をするのがとても楽しかったと言っていました。真面目に仕事をすれば会社が成長をし、日本全体が活気に満ちていることを実感できるような時代だったそうです。当時は会社の運動会や社員旅行などが頻繁に行われており、会社はひとつの家族のような存在だったようですので、徐々に真綿で首を締められるような景気低迷と人口減少によって自治体が消滅するかもしれない…というような暗雲立ち込める現在とは随分様子が違っていたようです。
萱島の記憶はまったくありませんが、七隈では小学1年生の夏までを過ごしましたのでいろいろな記憶が残っています。私にとっての最初の明確な記憶は、当時通っていた城南幼稚園での出来事などです。父は写真が好きでしたし、初めての子どもということもあって私が写っている写真がたくさん残されていますので、もしかすると写真によるものと実際の記憶とが混在している可能性もありますが、写真には残っていない当時の記憶もたくさんありますので、幼稚園入学前ぐらいが私にとっての最も古い記憶といえるでしょう。
子どもの頃の私は色が白くて(今もですが)、女の子のようにとてもかわいい子だったようです。母が妊娠中のときには、色が白い子が生まれるようにたくさん牛乳を飲んだと言っていたことがありますが、今思うと根拠のない迷信のようにも思いますが、結果的に色白で線の細そうな子が生まれました。七隈に移住した同年11月に2歳違いの弟が生まれましたが、福岡生まれで福岡育ちの彼の故郷はこの場所になります。
私が会社勤めをしていた37歳のときに出張で博多を訪れたことがありますが、31年ぶりに七隈を訪問しました。このときは日帰りの予定だったのでさっと立ち寄っただけですが、当時住んでいた家の敷地はそのまま残っていました。そこは4件の家がコの字型に隣接していて、隣り合った2件の家の対面にも同様に2件の家が並んでいました。なので、その間に広い共同の庭のような空間があると思っていたのですが、大人になってから訪問してみると、こんなにも狭い場所だったのかと驚きました。子どもの頃には走り回って遊べるような空間だと感じていたのに、今となれば車を2台ほど停めたらいっぱいになってしまうほどの広さでした。それだけ、自分の背丈も伸びて視線の位置が変わったということでしょう。
ずっと同じ場所で生まれ育った人は、自分の成長と共に時間をかけて徐々に風景の記憶も置き換わっていくので、このように何十年ぶりかにその場所を訪問して周囲の環境の変化や自分の視点の変化を実感することはほぼ無いでしょう。しかし、何度か転居を経験している人間にとっては、子どもの頃に住んでいた場所を大人になってから訪れてみるという楽しみがあり、実際にこれまでに住んでいたそれぞれの場所を訪問してみると、いずれの場所でも感慨深い記憶が蘇ります。これは人間の帰巣本能なのか自分の生い立ち探しの旅、はたまた感傷旅行なのかは分かりませんが、たとえ短い期間であっても自分の記憶の中にある風景が移ろいゆくことを実感するのは、世の中が無常であることをいつも思い起こさせてくれます。
幼少期に転居という経験が何度か経験した人とそうでない人では、成人後にものの見方に大きな違いが生じるように感じています。私にとっては「生きること=その都度住む場所を移動すること」と認識していますが、ずっと同じ場所で生きてきた人にとっては「生きること=その場所を守ること」という基本的な考えで生活をしておられる方が多いように感じています。私は住む場所だけではなく、仕事も自分の意思でこれまでに何度も内容を変えてきましたし、独立後も事業内容が「安定する」ということはまったく期待していませんので、その都度、自分の考えや業界の流れに合わせて方向転換をして、新しいことに取り組み続けることが「仕事をすること」だと思っています。今、私がやっている仕事内容であれば、きっと明日からパリやロンドンに行ってしばらく住みながら仕事をしようと思えばやってできないことはないと思いますし、大変なら大変なりに、何とか方法を考えてそれなりの生活を構築できそうな気がしていますので、それが国内であれば、あまり恐れるに足りないことです。そういう意味では、こうしたものの考え方は幼少の頃からの転居体験が大きく影響をしているのではないかと感じています。