お知らせ

わたしたちはどう生きるのか 〜JR福知山線脱線事故から20年【講演会&公開対談と書籍発行について】

2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故は、多くの人の命を奪い、遺族や生き残った人たち、そしてその家族の人生を大きく変えました。その事故から、来年2025年で20年が経過します。
多数の死傷者を出した1両目に乗車していた福田裕子さんと2両目乗客の小椋聡さんは、その後、負傷者や遺族等の集まりに参加し続けたり、メディアの取材等を継続して受け続けたりして、事故の経験や思いをそれぞれの方法で伝え続けています。

両者は、事故から10年目の2015年4月にライターの木村奈緒さん主催で開催された「わたしたちのJR福知山線脱線事故—事故から10年」において、事故にまつわる絵画作品やパネル等を提供して展示を行い、同日開催されたトークセッションにも参加しました。
この展示会には連日数多くの人たちが来場し、事故を直接経験していない関東圏の人たちに事故の悲惨さを伝えると共に、生きることへのメッセージを伝えました。
こうした思いや経験はJR事故の被害者だけに限らず、様々な困難に直面した人が新たな人生を再び歩み始めるときに生きる勇気を与え、その後の生き方を共に考えるきっかけになるものであると感じています。

事故から20年目の節目を迎えるにあたり、2024年11月3日(日)東京・日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(大ホール)にて講演会&公開対談の場を設けるとともに、対談の内容を収録した書籍を出版する予定です。
この講演会&公開対談では、JR事故の被害者以外に、2011年3月11日に発生した東日本大震災の宮城県石巻市立大川小学校で家族3人を亡くし、自身も津波に飲み込まれた経験をされた只野哲也さん(当時小学5年生)をお招きしてディスカッションを行います。

多くの人との対話を通じて、「わたしたちはどう生きるのか」というテーマに向き合うことができる記録を残したいと考えています。

【講演会&公開対談

「わたしたちはどう生きるのか」講演会&公開対談 〜JR福知山線脱線事故から20年

日時:2024年11月3日(日) 13:00〜15:30
会場:日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(大ホール) 千代田区日比谷公園1-4
参加費無料

《プログラム》
第1部「講演会」

  • 福田裕子(JR福知山線脱線事故1両目乗客)
  • 小椋聡(JR福知山線脱線事故2両目乗客)
  • 只野哲也(東日本大震災当時 大川小学校5年生)

第2部「公開対談」

  • 講演会登壇者+聞き手:木村奈緒

会場との質疑応答

《開催にあたって》

 来年の4月25日で、2005年に兵庫県尼崎市で発生したJR福知山線脱線事故から20年、そして、2011年3月11日に発生した東日本大震災から14年が経過します。いずれも、私たちの記憶に深く刻まれている大惨事ですが、年月の経過や時代の流れの中で次々と発生する事件事故や災害と共に、当時のようなリアルな感覚は薄れつつあります。
 すでにJR西日本の社員の三分の二以上は事故後入社の社員が占めるようになり、社会に情報を伝える役割である報道関係の記者も、事故当時はまだ小学生だったので、なんとなく記憶にあるだけしか知らないという方が多くなっています。
 こうした状況の中で、これらの事象で得ることができた教訓や、経験した人たちが人生の歩みの中で感じ得た大切なことを、どのように継承していくのかという課題に向き合わなければいけない時期が、この20年という時間なのではないかと感じています。

 惨事を直接経験した当事者の言葉には、説得力や重さがあるのは当然のことですが、直接それらを経験していない人の中にも、「遺族」とは呼ばれない友人や恋人など、そして、自分が他で経験したことと重ね合わせて、特別な思いを寄せている方たちが数多くおられます。そうした人たちの思いは当事者よりも軽いのかというと決してそうではないはずですし、人それぞれに思いの寄せ方や表現の方法、語りたいと思う時期などが違います。

 風化防止というのは、ただ単に当事者の言葉がそのまま語り継がれるようになったり、報道される機会が増えれば良いという意味ではなく、当事者とはまた違った視点で事象をとらえ、その人の言葉として語り継がれるようになってこそ、初めてその事象が活かされたということになるのではないかと考えています。

 わたしたちの祖父母は戦争を直接経験した世代ですが、戦争を経験していないわたしたちは戦争のことを語ってはいけないのでしょうか。そうではないはずです。もしかすると、わたしたちの世代は「戦後」ではなく「戦前」を生きているのかもしれず、世界中で起きている戦争や紛争のニュースは他人事ではありませんので、「わたしたちが語る戦争」という視点があっても良いのではないでしょうか。
 また、そうした問題の他にも、環境問題や日本全体の経済状況の悪化など、この時代の危うさに閉塞感や危機感を持ちながら不安の中で生きている人たちが、毎年、数多く自ら命を断つという不安定な時代を生きています。

 脱線事故から20年を迎えるにあたり、大川小学校で被災した只野哲也さんのインタビュー記事の「僕は奇跡の少年じゃない」というタイトルが目に留まりました。震災の取材を受けながら、「いつの間にか、メディアが求める決められた対応をしている自分に対して葛藤を抱くようになった」という彼の言葉が心に残りました。
 脱線事故で多くの方が亡くなった1、2両目で生き残った今回の登壇者も、これまでの歩みの中で何度も同様の経験をしながら生きてきましたので、当時、小学5年生だった彼が、その後、どのような人生を歩んできたのか、一緒に話を聞いてみたいと思ったのが今回の企画の始まりでした。

 この講演会&公開対談では、複数の違った立場の人たちが、自分の経験をとおして「生きるとは」「いのちとは」というテーマについて語り合い、お越しくださった皆さんと共に「生きることの意味」を考えることができる場にできればと願っています。

(「わたしたちはどう生きるのか」講演会開催実行委員会)

講演会&公開対談のチラシ画像はこちらからダウンロード可能です。

 

《「わたしたちのJR福知山線脱線事故—事故から10年」展の開催をとおして》

 JR福知山線脱線事故が発生した2005年当時、高校生だった私は、事故現場から遠く離れた関東でテレビを介して事故を知りました。家族や友人が事故に遭ったわけではありませんでしたが、自分も日々利用する電車で起きた事故ゆえに、まったくの他人事とは思えませんでした。むしろ、このような形である日突然、日常が断ち切られてしまうことがあるのだという事実が、この日以来、心の奥底に刻まれたように思います。

 事故から9年が経った2014年、事故を取材したドキュメンタリー番組を偶然見たことで、事故車両2両目に乗車していた小椋聡さんという人が事故現場の状況を絵や模型に残していることを知りました。この絵を通して事故について考えることはできないだろうか? そんな考えが頭をよぎりました。それと同時に、事故の当事者でも関係者でもない自分がそんなことを言っていいはずがないとも思いました。

 さんざん悩みましたが、事故の記憶が薄れつつある関東では、このまま何事もなければ事故は忘れ去られてしまうだろうと思い、意を決して小椋さんにこうメールを送りました。「東京でも小椋さんの絵を見る機会があったら、報道や書籍とは違った形で事故について考えることができるのではないでしょうか」

 このメールがきっかけで、私は小椋さんと知り合い、さらには1両目に乗車していた福田裕子さんとも出会い、事故から10年目の2015年4月に、東京・駒込で「わたしたちのJR福知山線脱線事故─事故から10年」展を開催しました。会場には、展覧会開催のきっかけとなった小椋さんの絵や模型、事故当時芸術大学の学生だった福田裕子さんが、事故のトラウマを抱えながら描きあげた絵画作品、関係者の方々のインタビューなどを展示しました(展示の内容は、来春刊行の書籍に掲載予定ですので、ぜひそちらもお読みください)。

 展示がはじまるまで、この展示がどのように受け止められるのか、そもそも本当に人が来てくれるのか、まったく予想もつきませんでしたが、蓋を開けてみたら5日間で約500名もの方が来場してくれました。介護職員、ドライバー、鉄道会社職員、学生、美術作家、会社員、主婦など、さまざまな人が静かに、熱心に時間をかけて展示を見てくれました。
 高齢の男性は、何時間も立ちっぱなしですべてのインタビューを読んでいってくれました。一度会場を後にした人が、家族を連れて会場に戻ってきてくれたこともありました。来場者の約半数の方がアンケート用紙にメッセージを残してくれました。「事故に関心がない」どころか、一人ひとりに事故に思いを寄せる理由があるのだということが分かりました。事故を伝えようと思ったはずが、来場者の方から多くのことを気づかせてもらっていました。

 総じて、展覧会場に広がっていたのは、自分が思ってもいない光景でした。あの時と同じ場所で同じ展示をしても、同じことは起こらない気がします。ひとつ言えるのは、「事故に直接関係のない自分が関わってはいけない」と諦めなくて良かったということ。迷った末に諦めていたら、あの光景は見られなかったし、今の自分はいないと思います。

 今回、この講演会&公開対談の実現に向けて、ふたたび10年展のメンバーと伴走することになりました。今回はそこに只野哲也さんとTeam大川 未来を拓くネットワークの皆さんも加わってくれています。この文章を書いている今は、そうして走った先にどんな景色が広がっているのか、やっぱり予想がつきません。でも、長いトンネルを自分ひとりで走りきるのではなく、一緒に居合わせた人たちとバトンを渡しあいながら走っていく。そうしてトンネルを走りきったその先に、思いもかけない景色が広がっている。そんなイメージだけはあります。今日一日が、そんな日になることを願っています。

(司会・聞き手:木村 奈緒)

「わたしたちのJR福知山線脱線事故─事故から10年」展を特集してくださった番組
かんさい情報ネット ten.「特集:事故を知らない私が伝える」


 

【書籍発行】

「わたしたちはどう生きるのか 〜JR福知山線脱線事故から20年」

発行:2025年3月末〜4月上旬予定

《内容》※変更になる場合があります

第1部 2005年4月25日からのあゆみ

1章 JR福知山線脱線事故とは
2章 「わたしたちのJR福知山線脱線事故 —事故から10年」展

  • 開催への思い
  • 展示内容
  • 来場者からの応答・反響
  • トークセッション採録

第2部 わたしたちはどう生きるのか

3章 わたしたちが生きる社会

  • 困難な時代に
  • それぞれの体験から(福田裕子/小椋聡/只野哲也 )

4章 それぞれの「生きる」─公開対談から

 

【取材等のお申し込み・お問い合わせ先】
「わたしたちはどう生きるのか」講演会開催実行委員会(小椋 聡)
電話:090-7965-9964 メール:info@kotono-design.com

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